1910年代には阿寒湖のマリモの採取・販売が行われており、東京でも観賞用として流通していたようです。この頃は湖からマリモを取ったり販売したりすることに制限はありませんでした。
1919年に吉井義次さんによってマリモの採集を禁じるべきと提言がなされ、1921年に天然記念物として指定されてからは原則マリモの売買は禁止されました。
しかし、その後も阿寒湖からマリモを盗む行為を行う人々がいました。なぜマリモは盗まれ続けたのでしょうか。
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マリモは生活費を稼ぐために売られていた?
観光客向けのお土産として需要が高かったマリモは、地域の人々の良い収入源でした。販売が禁止された後も、お金になるマリモの販売をなかなかやめられなかったようです。
特に戦後の1950年前後は生活が貧しかったこともあり、安い給料を補うためにマリモを売り物にしていたという証言もあると言われています。
1948年頃は一個あたり当時の50〜100円(現在の貨幣価値に換算すると1万〜2万円)で売られていたようです。1951年には、東京方面で一個約1000円で50万円(現在の1億円)以上売り上げたという記録が残っています。
また、元々マリモは普通に販売されていたためか、販売禁止となった後もマリモを売ることが違法だという認識が広まっていなかったと考えられています。警備も厳重ではなく、闇市場で取引するために盗まれ続けたようです。
1955〜1956年に行われた、全国の盗まれたマリモを阿寒湖へ返すキャンペーンでは約4500個が返還されたと記録されています。
実際に売られたり盗まれたりしたマリモの数はそれより多かったことは間違いありません。
全国から返還されたマリモたちは、まりも祭りの際に儀式とともに阿寒湖に戻っていきます。
人工マリモのおかげで盗みが減った?
現在は阿寒湖のお土産として一般的な人工マリモ(養殖マリモ)の生育方法が確立されたおかげで、マリモの盗難は一応沈静化したとされます。
しかし、2000年代でも盗みの報告があることから、まだまだ油断はできない状況と言えます。マリモは場所によっては浅い所(水深1.5m程度)にいるので、やろうとすれば簡単に採ることができてしまうのです。
また、元々お土産のマリモの元になっていたシラルトロ湖のマリモの採取が禁止された後には、阿寒湖からマリモの藻を盗もうとする業者が少なからず現れたとされています。
大きなマリモを自宅で育てたいという気持ちはわかりますが、違法に採るのは良くありません。
ちなみに、大きな球状マリモは水槽で育てようとしても、流水がないために崩壊してしまうことが知られています。
阿寒湖の自然で育つことがマリモにとっても理想的と言えるでしょう。
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